与謝野晶子

Yosano Akiko

経歴

1878 年大阪府堺市の老舗和菓子商「駿河屋」の三女として生まれる。本名 鳳志ょう(しょう・後に与謝野晶子)。1900 年与謝野鉄幹が主宰する東京新詩社の機関誌『明星』に短歌を投稿し参加。1901 年処女歌集『みだれ髪』で官能と情熱の歌人としてセンセーションを起こす。鉄幹と結婚し 13 児を出産しながら執筆を継続。日露戦争に出征した弟へ宛てた長詩『君死にたまふことなかれ』(1904) は戦争批判の代表作として大町桂月との論争を呼んだ。歌集『恋衣』『春泥集』『青海波』『佐保姫』、評論『一隅より』『人及び女として』、女子教育論、『源氏物語』『栄花物語』『紫式部日記』の現代語訳など膨大な業績を残す。文化学院創立委員でもあった。1942 年死去、63 歳。日本近代短歌における女性歌人の頂点。

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出典・参照元